百年の時を越えて
百年の時を越えて
もしも、タイムマシーンがあったなら――
私は、一度でいいから「百年前の世界」と「百年後の世界」を見てみたいと思います。
百年前といえば、今からちょうど一世紀前。
現在から見れば、そこにはまったく違う世界が広がっていました。
そして、さらに時代をさかのぼれば、私の祖先が生きていた江戸時代です。
江戸から明治へ。
そして大正、昭和、平成、令和へ。
人間は、わずか数百年の間に、とんでもない変化を経験してきました。
サムライの時代から宇宙時代へ
私の先祖には、宮大工として生きた人たちがいます。
江戸から明治を生きた彼らが、もし現代の世界を見ることができたら、いったい何を思うでしょうか。
街には自動車が走り、空には飛行機が飛び、世界中の人と瞬時につながる。
遠く離れた国の人とも、画面を通して会話ができる。
そして何より驚くのは、人間が地球を飛び出し、宇宙へ行っていることではないでしょうか。
江戸の世を知っている、私のひいおじいちゃんやひいひいおじいちゃんからすると、まさか自分たちの子孫が、未来にテレビやラジオなどで宇宙を語っているなんて、想像すらできないことでしょう。
それから、夜空を見上げれば、昔の人々も同じように月や星を眺めていました。
しかし、現代の人間はそこへ人工衛星を飛ばし、月へ探査機を送り、宇宙ステーションで人間が暮らしています。
かつては「空の向こう」にあると思っていた宇宙が、今では人間が実際に活動する場所になりました。
サムライが歩いていた時代から、宇宙を目指す時代へ。
考えてみれば、本当に「とんでもない変化」です。
もし江戸時代の人に、
「いつか人間は地球を飛び出して、宇宙へ行くようになる」
と話したら、きっと夢物語だと思われるでしょう。
でも、それは夢ではありませんでした。
人間は本当に宇宙へ行ったのです。
そして、今から百年後は?
では、現在から百年後はどうなっているのでしょうか。
22世紀。
私は、その世界を想像するだけでワクワクします。
もちろん、百年後のことを正確に予測することはできません。
しかし、過去百年の変化を考えてみれば、今から百年後に起こる変化も、私たちの想像をはるかに超えているかもしれません。
今では当たり前になったスマートフォンも、インターネットも、人工知能も、ほんの少し前までは今ほど身近なものではありませんでした。
そう考えると、22世紀の人たちにとっての「当たり前」は、私たちには想像もつかないものになっているかもしれません。
宇宙旅行が特別なことではなくなっているかもしれない。
月面に人間の街ができているかもしれない。
さらに遠くの惑星や小惑星へ、人間が行き来しているかもしれません。
太陽系を探査するだけではなく、もっと遠くへ――。
いつか、人類が銀河を意識して活動する時代が来るのかもしれません。
そして、その頃には「宇宙」という言葉の意味そのものが、今とは違っている可能性さえあります。
未来の人から見れば、私たちも「昔の人」
そんなことを考えていると、少し不思議な気持ちになります。
私たちは、自分たちが現代を生きていると思っています。
でも、22世紀の人たちから見れば、私たちは「昔の人」です。
ちょうど私たちが、江戸時代の人々を昔の人として見るように。
22世紀の子どもたちが歴史の授業で、
「21世紀の人類は、まだ地球を中心に暮らしていました」
「宇宙へ行くことは、まだ特別なことでした」
「月へ人間を送ることを、もう一度目指していました」
そんなことを学んでいるかもしれません。
そう考えると、私たちが今生きているこの時代も、未来へつながる歴史の一ページなのだと感じます。
もしもタイムマシーンがあったなら
だから私は、タイムマシーンに乗ってみたい。
まずは百年前へ。
さらに、その先へ。
自分の祖先が生きていた時代へ行ってみたい。
そして、祖先に聞いてみたいのです。
「あなたたちが見ていた空の向こうには、何があると思っていましたか?」
「星を見て、宇宙のことを考えたことがありますか?」
「百年後の子孫が、宇宙の話をしていると思いますか?」
もちろん、答えを聞くことはできないかもしれません。
それでも、同じ星空を見上げながら、宇宙について語ってみたい。
そして今度は、百年後へ行ってみたい。
私の子孫たちに会って、
「あなたたちの時代の宇宙は、どうなっていますか?」
と聞いてみたい。
月には行きましたか?
火星には行きましたか?
太陽系の外へ向かう旅は始まりましたか?
そして――
人類は、宇宙で誰かに出会いましたか?
そんな話を、未来の子孫と語り合ってみたいのです。
百年という時間
百年という時間は、とても長いように感じます。
しかし、人類の歴史から見れば、ほんの一瞬なのかもしれません。
その一瞬の間に、サムライの時代から宇宙時代へと世界は変わりました。
そして、これからの百年も、きっと大きく変わっていくでしょう。
今の私たちには想像できない技術が生まれ、今は夢でしかないことが現実になる。
もしかすると、今の私たちが「そんなことは無理だ」と思っていることの中から、未来の当たり前が生まれるのかもしれません。
そう考えると、未来は単なる「これから来る時代」ではありません。
私たち一人ひとりが、少しずつつくっていくものなのだと思います。
江戸時代の人々が見上げた星空。
私たちが見上げる星空。
そして、百年後の子どもたちが見上げる星空。
星空は同じでも、その星空を見る人間の世界は、大きく変わっていることでしょう。
そして、また次の百年へ
私は思います。
百年後の人たちも、きっと空を見上げるのではないでしょうか。
どれほど科学技術が進歩しても、星を見て「きれいだ」と感じる心。
遠い世界へ行ってみたいと思う気持ち。
まだ見たことのないものを知りたいという好奇心。
それは、きっと変わらない。
もしかすると、未来の子どもが夜空を見上げながら、
「昔の人たちは、宇宙をどんなふうに考えていたんだろう?」
と思う日が来るかもしれません。
そのとき、その「昔の人」の中には、私たちもいるのです。
百年前から現在へ。
そして現在から百年後へ。
時間は、静かに流れ続けています。
もしもタイムマシーンができたなら――
私は、百年の時を越えて旅をしてみたい。
祖先と宇宙を語り、
子孫とも宇宙を語りたい。
そして、過去から未来へ続く長い時間の中で、
人類がどこまで宇宙へ歩んでいくのかを、この目で見てみたい。
そんな夢のようなことを思いながら、今日も夜空を見上げています。
(写真提供:NASA)
こんな気持ちを曲「百年の時を越えて」にしました。
興味のある方は聴いて下さい!





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