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長い帰り道で見つけた、夜空の友だち ~車窓からの月~

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 長い帰り道で見つけた、夜空の友だち 現役のエンジニアだった頃、山梨から首都圏へ通勤していました。 朝は早く、夜は遅い。 東京での仕事を終えて、中央本線の電車に乗り、山梨へ帰る長い道のりです。 一日の仕事を終えた車内では、静かに座っていることが多かったように思います。 そんなある夜、窓側の席から何気なく外を眺めていると、車内の明かりが窓に映っていました。 その向こうに、やさしく光る月が見えました。 「あっ、月だ」 それだけのことなのですが、なぜか気になって、しばらく眺めていました。 すると不思議なことに、電車が走るにつれて、月の位置が変わって見えます。 前にいたかと思えば、いつの間にか後ろにいる。 高くなったり、低くなったり。 南の空にまん丸の顔を見せていたかと思えば、突然、電車を追いかけてくるように見える。 雲の間を走り抜けたり、山の向こうへ隠れたり。 そして、トンネルを抜けた瞬間、目の前に月が現れることもあります。 まるで、 「まだ一緒に遊ぼうよ」 と、月が言っているようでした。 仕事のことを考えていたはずなのに、いつの間にか月を探しています。 次はどこに現れるのだろう。 今度はどんな動きをするのだろう。 そんなことを考えていると、長かった帰り道も、それほど長く感じなくなりました。 疲れているときほど、ほんの小さな楽しみが心を軽くしてくれることがあります。 私にとって、それが夜空の月でした。 やがて見慣れた景色が現れ、降りる駅の灯りが見えてきます。 「ああ、もう着くんだ」 そう思いながら、最後にもう一度、夜空を見上げます。 長い仕事の一日。 長い帰り道。 その途中で出会った、月と星たち。 今思えば、あの頃の私は、電車に乗って帰っていたというより、夜空を眺めながら、小さな宇宙旅行を楽しんでいたのかもしれません。 忙しい毎日の中でも、少しだけ空を見上げてみる。 そこには、思いがけない「小さな楽しみ」が待っているかもしれません。 今夜も、夜空のどこかで月が笑っているような気がします。 (写真撮影:著者) 追記: 今回も、そんなことを当時のメモを見て曲にしていました。 お楽しみください!

ゆういちくん

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 「ゆういちくん」 子どもの頃の記憶というのは、不思議なものです。 何十年も前の出来事なのに、ふとした瞬間に、当時の光景がよみがえってくることがあります。 友達と遊んだこと。 学校からの帰り道。 友達の家に遊びに行ったこと。 その一つひとつは、当時の自分にとっては、ごく普通の日常でした。 でも、長い年月が過ぎて振り返ってみると、その何気ない一日が、その後の人生につながる大きな出来事だったことに気づくことがあります。 私にとって、そんな思い出の一つが「ゆういちくん」です。 同い年の幼なじみ ゆういちくんは、私と同い年の幼なじみ。 私の家から五分ほどのところにある、天ぷら屋さんの息子でした。 小学校の頃、よく一緒に遊んでいました。 ある日の学校の帰り道、ゆういちくんから、 「おれんちへ遊びにこいよ」 と誘われました。 私は、その言葉に誘われるまま、ゆういちくんの家へ遊びに行きました。 それが、私にとって初めてのゆういちくんの家でした。 友達の家で見つけたもの 家の中に入って、部屋を見せてもらいました。 小さな部屋でしたが、お兄ちゃんと一緒の部屋。 当時の私は自分の部屋がありませんでしたから、 「自分の部屋があるっていいなあ」 と、ちょっとうらやましく思ったことを覚えています。 ところが、部屋を見回しているうちに、別のものが目に入りました。 棚に、雑誌やマンガがたくさん並んでいたのです。 そして、さらに驚いたことがありました。 なんと、そのほとんどが宇宙に関する本だったのです。 私は宇宙の本がそんなにたくさん並んでいることに驚きました。 「見てもいい?」 そう聞くと、 「どれでもいいよ。自由にとって見て」 と、ゆういちくん。 私は棚から一冊の宇宙の雑誌を手に取りました。 ページを開くと、そこには、今まで知らなかった世界が広がっていました。 星。 惑星。 銀河。 そして、果てしなく広がる宇宙。 ページをめくるたびに、知らない世界が次々と現れてきます。 「家に持っていきな」 読み始めると、止まらなくなりました。 雑誌を読み、マンガを読み、また別の本を手に取る。 子どもだった私は、夢中になって宇宙の世界に入り込んでいきました。 そんな私を見ていたゆういちくんが、 「家に持っていきな。貸してあげるよ」 と、笑って言ってくれました。 今考えると、本当に何気ない一言です。 ゆ...

エンジニアの思い出から生まれた、もう一つの宇宙への旅

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 消えかけた夢に、もう一度命が吹き込まれた ――エンジニアの思い出から生まれた、もう一つの宇宙への旅―― 私は、エンジニア時代から、心に残った出来事や人との出会い、楽しかったこと、感動したことなどを、時々メモや詩にして残してきました。 その時は、まさかそれらが、いつの日か「歌」になるとは思っていませんでした。 ただ、忘れたくない。 そんな思いで、ノートやパソコンに書き留めていたのです。 「この詩、曲になったら面白いな」 そんな気持ちが少しずつ芽生えてきたのは、科学館のサークルに入り、プラネタリウム番組の制作に関わるようになったことがきっかけでした。 星空を映し出し、宇宙の物語をつくる。 セリフを考え、声を入れ、仲間と合唱の練習をする。 そして、合宿をしたり、食事をしたり、時にはパーティーを開いたり……。 音楽のことを語り合いながら、仲間との距離もどんどん近くなっていきました。 そんな時間が、とても楽しかった。 そして、いつしか私の中に、 「自分が書いた詩も、いつか曲にしてみたい」 という思いが生まれてきたのです。 仲間からもらった、忘れられない歌 さらに、私の気持ちを大きく動かしてくれた出来事がありました。 仲間たちが、私の誕生日のために歌をつくってくれたり、応援歌をつくってくれたりしたのです。 自分のために歌をつくってもらう。 これは、何とも言えないほど嬉しいものでした。 そして、もう一つ忘れられない出来事があります。 県外から私の宇宙講演会を聞きに来てくださったミュージシャンの方がいました。 その方から、なんと私が出演していたテレビ番組の主題歌や挿入歌をプレゼントしていただいたのです。 「こんなことがあるんだ……」 驚きと感動でいっぱいになりました。 こうした一つ一つの出会いが、私の中にあった「音楽をつくってみたい」という気持ちに、さらに大きな力を与えてくれました。 宇宙を語ると、また詩が生まれた その後、宇宙講演会やテレビ、ラジオなどで、子どもたちや多くの皆さんに宇宙の話を届けるようになりました。 すると、不思議なことが起こりました。 宇宙の話をしていると、新しい言葉が次々と浮かんでくるのです。 星を見上げた時の感動。 宇宙飛行士への憧れ。 エンジニアとして宇宙開発に関わった時の思い出。 子どもたちのキラキラした目。 人生の中で出会った人たち。 そんな...

光の中で宇宙を語る

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 光の中で宇宙を語る ― 宇宙を伝えることが、いつの間にか私の人生になっていた ― 二千年が輝きだしたころ。 私は首都の大きなステージに立ち、たくさんの人たちを前に宇宙を語っていました。 宇宙エンジニアとして仕事をしてきた私にとって、宇宙について話すことは、最初から目指していた道ではありませんでした。 ところが、その講演会がきっかけとなり、故郷のテレビに映るようになりました。 「宇宙を伝えるエンジニア」 そんな新しい道が、そこから始まったのです。 ある講演会の帰り道、テレビ局のスタッフの方から、こんな言葉をいただきました。 「こんなに宇宙を生きてきた人は、山梨にはいない。ヒーローさ」 思いがけない一言でした。 そして、その一言から、テレビで宇宙を語る日々が始まりました。 テレビ番組を作るために、JAXA、国立天文台、極地研究所、科学館、そして宇宙メーカーなど、さまざまな場所を訪ね、取材させて頂きました。 宇宙の最前線で働く人たちに話を聞き、最新の宇宙情報を集め、それをできるだけ分かりやすく、身近な言葉で伝える。 それが私の仕事のもう一つの大切な役割になっていきました。 番組では、原案づくり、司会、解説、そして写真や動画の使用許可、さらには監修まで。 いろいろなテレビ局で、たくさんの宇宙番組に関わってきました。 テーマも、ビッグバンからブラックホール、スペースシャトル、国際宇宙ステーション、「はやぶさ」と「はやぶさ2」小惑星探査機、スーパーカミオカンデ、日本の宇宙メーカー、海外の宇宙メーカー、ハッブル宇宙望遠鏡、ジェームズ・ウェブ宇宙望遠鏡、すばる望遠鏡、アルマ電波望遠鏡、そして月面開発などなど。 宇宙の話は、どこまでも広がっていきます。 そして、テレビだけではありません。 学校や科学館、地域の講演会などで、たくさんの子どもたちと出会ってきました。 講演が終わったあと、 「宇宙の話、おもしろかった!」 「また宇宙の話をしてね!」 そんな声をかけてもらうことがあります。 その笑顔を見るたびに、 「ああ、宇宙を伝えてきてよかった」 そう思います。 宇宙は、遠い世界の話ではありません。 夜空を見上げれば、誰の頭上にも宇宙があります。 そして、その宇宙を知ることは、私たちが暮らす地球を見つめ直すことにもつながります。 振り返ってみると、私は長い間、宇宙エンジニアとして...

職人魂を胸に!

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 職人魂を胸に! 「職人魂」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。 木を削る大工さん。 伝統工芸の職人さん。 長年、一つの技を磨き続けている人。 私にとって「職人魂」は、単に職人という仕事をすることではありません。 自分の仕事に誇りを持ち、技を磨き、工夫し、最後まであきらめない。 そんな生き方そのものだと思っています。 サムライの時代から続く我が家 私の家は、サムライの時代から続く宮大工の家系です。 祖先は、神社やお寺などを造る宮大工として、木と向き合いながら仕事をしてきました。 木の性質を見極め、寸法を測り、道具を使い、長い年月に耐える建物を造る。 そこには、長い経験から身につけた技術と、職人としての誇りがあったのだと思います。 私自身は、その道を継ぎませんでした。 選んだのは、まったく違う世界―― 宇宙エンジニア という仕事でした。 しかし、今振り返ってみると、仕事は違っていても、どこかに先祖から受け継いだものがあったように思います。 宇宙開発の仕事でも、技術を磨くこと、細かなところまでこだわること、問題が起きれば知恵を出して解決することが大切です。 木を相手にする宮大工と、宇宙を相手にするエンジニア。 一見するとまったく違う仕事ですが、 「より良いものをつくるために、自分の技と知恵を使う」 というところでは、通じるものがあるのかもしれません。 私は「職人魂のアイディアマン」 私は、自分のことを時々、 「職人魂のアイディアマン」 と表現します。 ©NASA 宇宙エンジニアとして仕事をしていると、教科書に答えが書いてある問題ばかりではありません。 「どうすればできるだろう?」 「もっと良い方法はないだろうか?」 そう考えながら、仲間と知恵を出し合い、一つずつ問題を解決していきます。 技術だけでは足りない。 経験だけでも足りない。 そこに アイディア が必要になります。 だから私は、職人魂とは「昔ながらの技術を守ること」だけではないと思っています。 新しい時代なら、新しい技術を使えばいい。 新しい問題が出てきたら、新しい方法を考えればいい。 それでも、その根っこにある 「自分の仕事に誇りを持ち、より良いものをつくろうとする心」 は、昔も今も変わらないのではないでしょうか。 親の背中から受け継ぐもの では、その職人魂は、次の世代にも受け継がれていくので...

今も心に輝く星たち

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 今も心に輝く星たち ~ニューカレドニア~ 夢にまで見た「天国に一番近い島」 今から50年ほど前のことです。 当時、森村桂さんのベストセラー小説『天国に一番近い島』で知られていた、南太平洋のニューカレドニアを訪れる機会に恵まれました。 「天国に一番近い島」。 その言葉に、子どもの頃からどこか憧れを抱いていた私は、実際にその地を訪れることができることに、大きな期待を膨らませていました。 そして、ニューカレドニアの大地に立った瞬間から、感動の連続でした。 南太平洋に浮かぶ島々。 青く透き通った海。 白い砂浜。 そして、これまで写真や本でしか見たことのなかった風景が、目の前に広がっていました。 ヌーメアの街を走る 滞在中は、時間を見つけては本島のヌーメア周辺をランニングしたり、散歩したりしました。 海岸線を風を受けながら走ると、目の前には青い海。 日本とはまったく違う南の島の空気を感じながら、ただ走ることが楽しくて仕方ありませんでした。 そして、もう一つ強く印象に残ったことがあります。 それは、 驚くほど治安が良かったこと です。 当時のニューカレドニアは、私が想像していた以上に安全で安心できる場所でした。 街を歩いていても、盗難やスリなどをほとんど心配することがありません。 「なぜ、こんなに治安が良いのだろう?」 不思議に思って、現地の方に尋ねてみました。 すると、 子どもの頃から、悪いことをすると神様が見ていて、いつか罰を受けるという考え方があり、そうした教育が人々の中に浸透しているからだ、と教えていただきました。 なるほど……。 単に警察や法律によって守られているというだけではなく、 人の心の中に「悪いことをしてはいけない」という意識が根付いている 。 そんな文化の一端を知ったことも、50年たった今でも忘れられない思い出です。 最近では、ニューカレドニアで暴動が起きたというニュースを耳にすることもあります。 そんなニュースを聞くと、私が訪れたあの頃のニューカレドニアを思い出します。 私の記憶の中にあるのは、穏やかで、安全で、安心して歩くことのできた素晴らしい南の島です。 イル・デ・パンの海 ニューカレドニアで特に心に残っている場所の一つが、イル・デ・パンです。 海の美しさは、本当に言葉では表しきれないほどでした。 白い砂浜。 どこまでも青く透き通った海。 そ...

アタカマ砂漠

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 アタカマ砂漠 地球の裏側、南米チリへ 今から約15年前。 私は仕事で、南米チリのアタカマ砂漠へ何度も足を運んでいました。 アタカマ砂漠――。 アンデス山脈の北側に広がる、世界でも有数の乾燥地帯です。 日本から見れば、まさに地球の裏側。 飛行機から初めてアタカマの大地を見たとき、私は思わず息をのみました。 赤茶けた大地がどこまでも続いている。 そして夕暮れになると、その大地が赤、黄色、ピンクの光に染まっていく。 「まるで別の惑星だ……」 そんなことを思いながら、私は窓の外を眺めていました。 これから自分が、この大地で仕事をする。 そう思うと、胸が躍りました。 標高5,000メートルでの仕事 私たちの仕事場は、標高5,000メートルほどの高地。 宿舎でさえ約3,000メートルです。 望遠鏡の修理では、外国人エンジニアとペアを組んで作業をしていました。 相棒はメカニカルエンジニア。 私は電気・システムエンジニアとして、電気系統や制御、システム関係を担当していました。 世界数十か国から科学者やエンジニアが集まる国際的なプロジェクトです。 日本人エンジニアに対する海外の皆さんの信頼も高く、仕事をするたびに、これまで日本の先輩エンジニアたちが築いてきた信頼の大きさを感じました。 「自分も、その信頼を次の世代につないでいかなければ……」 そんな思いを持ちながら、仕事に励んでいました。 初めて見た、5,000メートルの星空 私がアタカマで初めて、夜の5,000メートル高地に入ったときのことです。 その日は夜遅くまで望遠鏡の修理作業が続いていました。 私は自分の担当部分を終え、相棒に確認しました。 「こちらは終わったけど、そっちはどう?」 すると、 「もう少しかかるから、車の中でコーヒーでも飲みながら休んでいて」 と言われました。 私は望遠鏡の階段を下りていきました。 ずっとディスプレイやコンピュータを見ながら作業をしていたので、夜空を見ることなど、すっかり忘れていたのです。 そして階段を下り、正面を見た瞬間――。 そこに、今まで見たこともないような星空が広がっていました。 「……すごい」 言葉が出ませんでした。 私は車のボンネットに腰を掛け、しばらく目を閉じました。 そして、もう一度目を開ける。 すると、さっきよりもさらに多くの星が見えてくるような気がしました。 空一面、...